投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

 派遣社員  美容皮膚科  鹿児島の求人・転職  とんかつ店愛知県
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]

新着順:21/468 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

七条坊門小路日本の地名は自民党によって消している

 投稿者:児島宮歴研会  投稿日:2009年 5月15日(金)20時02分47秒
  通報
  七条坊門小路であった。いわゆる六条河原は、六条通りを中心にして、北は六条坊門小路、南は七条坊門小路の間にある加茂の川原を指したのである。
四条と五条の間はというと、綾小路、仏光寺、高辻、松原、万寿寺と五本もの小路があり、規則性が失われている。昔は、仏光寺が五条坊門小路であり、松原が五条大路であり、五条通が六条坊門小路であった。
坊門小路という名が死語になり、新しい通り名に変わってしまった

日本の地名は自民党によって日本の歴史まで消している。

まさに、明治革命そのものと、そっくりになっている昨今。《荒れ果てた日本人》
京都の北に位置する「大覚寺」は児島宮の先祖、桓武天皇の子嵯峨天皇の別荘として、創建されて、南北朝には、児島高徳は、大覚に入り、「大覚大僧正」と号した。

つい二日前に、「大覚寺」を訪れた時、現大覚大僧正に面会するも、会合に出かけて、いられるとの事、留守の僧が、応対されたので、児島高徳、「大覚大僧正」の末裔児島宮祭主が、きたと,告げた。

どの寺院でも、天皇の寺院に列する寺社は、主家の者が、寺に入る習わしがあった。

これが児島宮元祖、道乗も東寺長者道乗として、仏にお仕えする、習わしの例である。
児島高徳も、この「大覚寺」に勤めたのは、身分を、明かしている事になる。
それは醐醍醐天皇の野心から、守る為に、僧になって、先祖の供養に、奉仕していた事がわかる。

元来ならば、醐醍醐天皇は大徳寺、に関連して、建てられたものであろう。
ここにも、児島宮の後胤佐久間は、代々、「高東院」創設、に児島高徳も、関って居た。
皆甚九郎を号しており佐久家宗家は全員この、「高東院」に葬られていると、
『寛永系譜帳にも寛政修系譜帳」にも、記録されている。
それが今は、誰の墓が判らず、しまいである。

最後の佐久間不干斎、は五輪塔に葬られている。
この佐久間不干斎の死に際し、シュメール形式で祭祀、され、三淵家始め、家臣が殉死したと、松長剛山住職の、著者に由来、を十年ほど前に、語られた。
出雲の阿国や名古屋山三郎(織田氏)は歌舞伎元祖と伝わり、今も歌舞伎役者は、訪れているという。
この寺に歌舞伎元祖が何故、葬られているか、どうやら、判っていないようである。
それは相撲協会に、おなじで、一度も、「高東院」にお参りにきていない。
これは、現代も同じで、今の自分に、つながるとは、分かっていない、からであろう。

つながりとは、しきたりの、事がなくては、根源がないという事になるのも、知らない事が、こちらには、ありありと、判る。
これがシュメール殉死という、しきたり、のことを現す。

これで現代は、しきたりも、そっちのけ、で、関係なしとなっているのに、神事とか、歌舞伎元祖は中村三郎と出雲の阿国が、殉死形式、でこの、「高東院」の中に葬られているのです。
殉死形式は何を語るか?松長剛山住職にも、分かっていられない、ようで、先日訪れた際には、児島宮の後胤佐久間は、代々の墓所は、間に、樹木の芽が、墓所を覆うように、草は生えて、すっかり、荒れ果てていた。
これでは、「高東院」の名は明治革命と同時に、高桐院と改められていた。
ここに根源の原形が無い事に、乗じて、
嵯峨天皇御所、「大覚寺」もすっかり、様子が、変わっていました。
これに、児島宮祭主は、このままに放置しておけば、、「大覚寺」もすっかり、様子が、変わる事と、同じになると、京都市役所、教育委員会、で、「大覚寺」の現在のあり方について、問いただすと?
京都市役所、教育委員会では仕事事務が「大覚寺」関係の管理、にはあたらないので、
と、京都府庁の文教課の地図と電話番号を、教えて、そちらで、お尋ねしたほうが、良いでしょうと、なり、
その足で、問題の解決になるよう、京都府庁の文教課へ足を運んだ。

京都府庁の文教課窓口では、宗教管理の代表と、言われる、方が対応された。

そこで、「大覚寺」内での、取り扱い、としきたりの、伝わっていない、処置の、取り扱いは、現代日本の憲法にのっとり、しきたり゛に変わった憲法にのっとり、しきたり道理には、行われて居ないと伝えた。

之に対し「大覚寺」内に、明治天皇事山口田不施村の大室虎吉と大正天皇父事、佐賀の大隈重信の子大正天皇とその実子、昭和天皇の位牌が、あるのは、断じて、するべき行為では、ないと、伝えた。

その上で、
左のしきたり道理の位牌の右手を、占めて並んでいるのは、何故しきたりに、反しているがと、その管理の責任を憲法上に、のっとり、問い正すと、
現在の宗教は、こちらから、どうせろとか、指図は手が出せないと、憲法上では無効とされた。
それで、現在のところ、宗教管理をしている団体に、しきたりが、行われていないと、伝えて、頂きたいと、断言された。
その結果は、すでに出ていて、憲法上、明治新天皇の廃物稀釈と、日本のしきたりの、廃止された現在では、所詮現皇室の一門が占めていて、管理は宮内庁なる配下がしていて、
日本の伝統の継承はすでに、なくなっているのであるから、
これでは話しの解決は、出来なく、現憲法のいいなりになり、
現皇室のいいなりに、なってしまうのが、「大覚寺」と深い関係になる、児島宮祭主とは、問題解決は、出来ない事は元よりである。

現代は、しきたりよりも、皇室の権力と、憲法上がある以上、何も出来ないし、この日本は荒れるばかりである。
今確実に、皇室の権力と、憲法上で幅を、きかせているので、国民も、昔のしきたりには、添わずに、
、「高東院」のしきたりで、さえも、京都府庁の文教課窓口では、宗教管理側のせりふ、のように、松長剛山住職にも、この天孫に与えている屈辱の思いは通じててないようである。
しきたりによて創設された、大徳寺は、今は、「高東院」のしきたりも無視されて、
墓所をあばく、かのような、乱立した、建立は身元も、わからずの、墓でさえぎり、天孫の墓所に通る幅は、何処にも無く、建立は身元も、わからずの、墓を、越えて、参拝に、いかねば、ならないのは、児島宮祭主には屈辱で、しかない。
 
》記事一覧表示

新着順:21/468 《前のページ | 次のページ》
/468