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筑紫の君とは筑紫大明神ワカタケル

 投稿者:児島宮歴研会  投稿日:2008年12月 8日(月)19時46分46秒
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  筑紫の君とはいぜんとして、解明にはいたっていにない。
『筑後國風土記』に、「筑紫」の語源として以下の話がある。
昔、筑前と筑後の境の鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)に、麁猛神(荒ぶる神)がおり、往来の人々の半数を殺してしまう。
筑紫の君と肥の君らが占いによって、甕依姫を巫女として、その神を祀らせた。
http://www.genbu.net/data/tikuzen/tikusi_title.htm

「由来記」
福岡県筑紫野市原田。旧県社。祭神は白日別神・五十猛尊。
『三代実録』に貞観元年「従四位上」、元慶三年「従四位上」の神階昇格をうけたことがみえる。『延喜式』には「名神大」とあり、古くよりこの地「筑紫」の名を冠する古社。初めは城山の頂上にあったが崇敬篤く麓に遷座。
筑紫大明神(白日別神・五十猛尊)としてい。
わかたける、尊は天皇のオクリナだけに使用するもので、
ワカタケルとは尊ではないので、命のほうである。
ここでワカタケルを、紐解くと、穀物に宿る神のことをいう。
これは人物にあたらない、神の名である。
若とは種という意味のことである。
死んだ者を葬るために、木を切って棺輿を造ったので、山の木尽きてしまった。よって筑紫の国と言う。
ここで明らかなのは、木棺と甕棺は倭人の葬り方である。
筑紫のはじまりが、木尽きてしまったのでつくし、という。
磐座といえば、倭人の儀式の生け贄を、仏に捧げる場のことをいう。
ここにワカタケルの全貌が見えている。
羽白の白と同類にあつかわれ、荒穂とかに使われている。

城山(基山)の上に坐り、基肄城をとりまく山々に五十猛命との関係がある。
これは卑弥呼のように後に天神族によって、脚色したものであった。
元々は城山に築かれていたものを、原田に移ししたとされている・
元々この一帯には倭人の集落が古代より、あったのであろう、この倭人は木を切って棺輿を造ったとし、倭人特有の、卑弥呼にも当てられている。
山麓に環濠を作るのはインドが原産地となって、環濠はここから、きている。

筑紫の国魂を祀るとこれが後に天神族により脚色されたものであった。
ここで天神族についてふれておこう。
天神族とはイラクに始まる神の風習からなるもの。
古代中国を切り開いた会稽の稲作農耕の民族の天空の神を持つ、南越王の民族のこと。
ここで倭人にも触れておこう、倭人の原点はインドの菩薩から始まる、環濠集落の民のことである。
倭人は殷民の総称も持ち、アメリカやポリネシャ大陸にも広がっている。モア巨石でも知られる。みな仏を崇拝していた。

鞍「革+薦」[シタクラ]を磨り尽くされた。民人はクラツクシの坂と呼んだ。
http://kamnavi.jp/it/tukusi/index.htm
この堺の上に麁猛神がいて、往来の人、半ば生き、半ば死んだと言う。その数いたく多かったという。
ここで筑紫君と肥君がとあり、
筑紫君肥君の正体は出雲にも通じている。
筑紫君肥君はともに、インド系の民族の酋長のことを、現している。
すべてが一致しなければ、解読は出来ないのです。

棺輿を造ったので山の木尽きてしまった。よって筑紫の国と言う。http://kamnavi.jp/it/tukusi/index.htm
筑紫野市の阿志岐シメノグチ遺跡は縄文遺跡で針摺の先土器が出土が物語っています、縄文原始。
五十猛命(白木神社の白がかんむり)
白木神社は新羅神社であったと推定
古賀崎古墳からは朝鮮系の環頭太刀や馬具類が出ている。宇美八幡宮は応神天皇を主祭神 気比大神(天日矛)と新羅神が祀られているその前を流れる川を白木川と言う。
これがアカシテいる。支石墓跡倭人と甕棺。

みな通じている。
白木神社「素盞嗚命、櫛稻田姫命、五十猛命、事代主命」荒ぶる神
人命盡(ツクシ)神ってんで「筑紫」の国号が出来た、ってわけ。「麁猛神」と書いて「あらぶる神」
「麁猛神」は、卑弥呼にもつうじる。あだな
「麁猛神」は「荒神」
「甕依姫」=卑弥呼である。甕棺の意のこと。
「邪馬台国」論争には、一個の重大な盲点がこれ
「カメ」と「ミカ」とは、語幹「カ」を共有している。これが実体をしめす
筑後国風土記の一節とされてきたものに、次の一文がある。

昔 此堺上 有二鹿猛神一 往来之人 半生半死 其数極多 因曰二人命尽神一 干レ時 筑紫君肥君等占之 8令二筑紫君等之祖甕依姫 為レ祝祭一之 自レ爾以降 行レ路之人 不レ被二神害一 是以曰二筑紫神一
〈読下し〉
昔、此の堺の上に麁猛神(あらぶるかみ)あり、往来の人、半ば生き、半ば死にき。其の数極(いたく)く多(さは)なりき。因りて人の命尽(つくし)の神と日ひき。時に、筑紫君・肥君等占(うら)へて、筑紫君等が祖(おや)甕依(みかより)姫を祝(はふり)と為して祭らしめき。爾(それ)より以降(このかた)、路行く人、神に害(そこな)はれず。是(ここ)を以(も)ちて、筑紫の神

「甕依姫」について
「天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)」(古事記、神代巻)、「玉依毘売(たまよりひめ)」(同上)等のしめすごとく、「よりひめ」は、「憑(よ)り代(しろ)」をもって神に仕える、権威ある巫女”を意味する称号である。
「甕依姫」の場合、「甕(みか)」が固有名詞
甕依姫が「甕」を“懸り代”としていた巫女
(考古学上では「カメカン」=卑弥呼
、「倭国の女王」として、中心権力者であった卑弥呼との間に存在する、重要な共通点である。
昔、此の堺(基山を指す)の上に“荒ぶる神”がいた。往来の人々に多くの死者が出た。そこで「人の命尽くしの神」と言った。(5)
 〈その二〉その時、筑紫君・肥君等が占いをして、筑紫君等の祖先である甕依姫を「祝」(はふり 神を祭る司祭者)として、彼女に祭らせた。
 〈その三〉それ以後、路行く人が「神害」をこうむることがなくなった。そこで「筑紫の神」というのである。
筑紫君・肥君等は、その収拾に手を焼いた。そこで占いをした結果、自分たちの先祖の甕依姫(さらに過去の、いわば「大過去」の人)の「亡霊」を呼び出して、これを「祝」として、祭りを行ったので、八女のイワイ説が脚色された。

今筑紫君等之祖甕依姫為レ祝祭レ之とある今は令の誤なり。肥前風土記姫社郷の下にも
昔此門(ト)之西有二荒神一行路之人多被二殺害一半凌半殺。干時卜ニ求崇由一兆云。令(△)三筑前国宗像郡人珂是胡祭二吾社一

とあり。今も占之とあれば兆に依りて祝を択びしにこそ。考証本に祀を祝に誤れり」

筑紫君・肥君等が占いをした。(その結果)現在(筑後国風土記の成立時点)の筑紫君等の祖先に当る甕依姫が(招かれて)登場し、彼女が「祝」(司祭者)となった?
ここにでているように、占いに卑弥呼が出てきたとしている。甕依姫が(招かれて)登場項目。

「乃ち共に一女子を立てて王となす。」ここに示すのは王であるが、、、
天子の事ではありません、古代中国でも、王は沢山出てきます。

前原にも王あり、春日にも王あり、筑紫にも王ありのたぐい。

ここで違いが出ている。
天皇、大伴大連金村・物部大連麁鹿火(あらかひ)・許勢大臣男人(をひと)等に詔して曰はく、「筑紫の磐井反き掩ひて、西の戎(ひな)の地を有つ。今誰か将(いくさのきみ)たるべき者」とのたまふ。大伴大連等僉(みな)曰さく、「正(たひら)に直しく仁(めぐ)み勇みて兵事に通(こころしら)へるは、今麁鹿火が右に出づるひと無し」とまうす。天皇曰はく、「可」とのたまふ。
 
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