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人間は形を残して仏は無し

 投稿者:児島宮歴研会  投稿日:2008年11月28日(金)16時53分39秒
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  人間は形を残して体内から生まれます。
現代人は、かたちには、憲法により、こわされましたので、いわば人間ではなくなってしまった、のです。
今さらに恐ろしい事が起きています?
現代人はかたち、はどうでもいいのだと、している事のことです?
創価学会のような、容のない仏を拝むように、なっているのです。

この世では、わが祖あまてらす、は、平山姓を名乗りました。
ひきつづき、次々と人間を生み出したと、記しています。
これは何かというと、世間では教える事が出来なかったのでしょう、意味さえも、判っていないのに、自分達の憲法で決めてしまった罪は、人間を殺したとも受け取れます。
この人間を殺した、とは?亡き者扱いをしてきたという事です?
それは憲法が、あるから、としてきたことに、同じ事が繰り返し、している恐ろしさに、ついつい、身震いが致します。

現代でも、人間として生まれた証拠が何か?見えていないようです?
人間として、とは、生まれると、祖父か父母から、名前をつけて、人間の形が、出来上がります。
さらに、祖父か父母の姓を名乗り、住民台帳に記載されています。
これが人間の容なのです。
そして、次に心を神から与えられて、生まれたが、憲法は無尽にも、これを必要ないと、打ち砕いてしまいます。
それが憲法の教えなのです。
ここに、人間として生まれてきたのに、憲法に従わないと、憲法無視として、判断され、罪人扱いにされていることは、まさに、現代そのものです。
人間ではあるが、心つまり精神は人間ではなかったのです。
人間には心がついて、生まれているが、生後すぐに、憲法の適用がされてしまいます。
生きるも死ぬも地獄の世の中なのです、これを格差ともいいます。
改造され、作られる、現代人間?の仕組みは、このように、なっているのです。

このように、
生前は人間の容があるので、一応、宗教にもよりますが、名づけられていますが、人間の寿命は、はかなく、短いもので、死ぬと、今度は仏になりますね。
宗教にもよりますが世界では、一応同じような、容を大切にしてきましたが、どうやら、現代はそうは、いかないように、なっているようです。
まだ誰も気がついていない、ようですが?
最近は、名前を廃止する傾向が政治家により、憲法で変えて、いるようです。

名前を廃止の諸段階は、住民台帳を簡素化して、番号製にしてしまおうと、するものです。
これが現代なのです。
引き続き同じことが繰り返されていますね、小泉民営化がそれ、です。
最近では、経済連の御手洗氏、は、国を変えているのは、同じような事です。
道州制にしてしまうのと、人間の関係が、どうでも、いいのだと、しているように、人間を動くロボットに、してしまおうと、企んでいると、してきました。
これは大変恐ろしいことなのですが、今は誰一人として、異論をとなえ、ないようです。
不思議としか、写らないのですが?
このように、何も判らないのを良いことに、変えてしまうのは、同じことです。

判りやすいように、例を上げて説明します。
人間として扱われるのは、姓と名前が付けられてから、容が出来上がります。
今度は、人間が亡くなると、仏として、向かえていませんでした?
何故なのか?
それは浄土真宗の場合では、院号が、ありますが、これが姓にあたる、院は、人間では、院に該当します。
ですが、姓は、財産がない人の場合、何も証拠が無いのですから、姓は、つけられませんでした。
姓がつけられたのは、桓武天皇からで、各地に配属された時、に、その土地の名が、姓になりました。
これが院にあたるのです。
このように、姓がはじまったのは、桓武天皇が立派な神としての、働きがあったのです。
どうでもいいのでは、菩薩になってしまい、無でしかなく、何も無用論なのです。
今の時代はまさに、是と同じに、なっているのです。

ですから、桓武天皇がお亡くなりになったら、神の神明が、送られ、いやてらすと、され、天照の後胤だと、名づけられました。
これは先祖が続いていたからで、新しい場合は、勝手な名前が付けられていました。
それは姓がなかったに、等しいのです?
いいかえれば、あまり、天皇は偉くは、なかったと、いう事です。

次に院号の号とは?人間でいうところの、名前に当たります。
明治以降には、このような仕組みは、神が排除されたので、無くなりました。
それが現代まで続いて、いるのです。
これは、神でなければ、姓は、どうでも、いいのだと、なります。
西本願寺総長は、現明治天皇の一族から、就いていられます、日本のすべての、役職は宮内庁を始として、ほとんどの地位にあるようです。

西本願寺総長は、さらに仏社会を、改革せんと、して、院号はお寺の住職に限ると、西本願寺規定を、来年から実施すると、門徒に触れました。

この門徒は何も知りませんから、そんなことは、どうでも、言いつけられるように、なるしか、ないと、しています。
これは大変恐ろしい考えなのですが、現明仁が悪いからと、思う日本人は、一人として、いませんね。
これは意味が何も憲法が邪魔しているので、門徒達には、意味が判らないのです。
院号は神が決めるもので、仏であろうとも、院号は、つけられました。
これが、本当の天皇ならば、院号は人間の証拠になるから、と、大切さが判るはずです。
人間ではない犬ならば、姓は必要としないでしょうが。
人間は、仏に仕える身となったら、院号がなければ、菩薩は、お前は誰かと、迷われてしまいます。
実は天皇がつけなくて、いいからと、いったと、言い訳しますか?

現皇室は、このような事にしています。
知らないのは国民だけ。

西本願寺派は来年から、創価学会と、同じ仕組みに、すると、ふれ渡りました。
創価学会は株式のようなもので、成り立っているのですから、日蓮さまと、いいつつ、日蓮上人とは、何の関係も無いのです、これは憲法の宗教そのものですね。
創価学会は仏は、いなくて、学会員だけで、お葬式が、行われています。
ここにきて、怖ろしい事に、西本願寺派は来年から院号廃止としましたから、宗教でありながら、宗教では無くなるのに、何の意味が、あるでしょうか?

これまで、西本願寺派門徒は、死後の仏の、院号代金といい、西本願寺派門徒は、お礼に、大金を、支払っていました。
然し現実には、門徒が、何もわからないのを、いい事に、戒名は、号だけで釈たけ、の号しか、つけていませんでした。
このように、院とは、かばね姓、のことで、すが、お前は財産が何もないと、したようなもので、門徒は馬鹿扱いにされて、いたようです。
知ったら門徒達は怒るかも知れませんね。
人間扱いをしていなかったことに、です。

仏教の起こりはこのように、人間としての資格から死後の資格まで、与える役目として、寺を、天皇は、築いて、こられたのです。
寺のか過去帳は、今の市町村役所のように、生前は、市町村役所にして、死後はお寺の役目と、なっていました。祭主談
明治以降には、憲法に変わり、廃止になりましたので、明治以降から現代迄、市町村役所で足りると、したきました。
それに、宗教だから、憲法には関係ないと、別扱いにされてきました。
これは皇室の神への謀反でしか、ありません。
 
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