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中国系日本人はこうして始まった

 投稿者:児島宮歴研会  投稿日:2008年10月29日(水)08時11分34秒
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  奈良王朝以前は未開地だったインドのアッサム地方に住むドラピタ国に侵入し、アーリア人に剥奪された。

BC2000年ころアーリア人南ロシア地方に居住し牧畜を営んでいた民族のひとつであるゲルマン人はヨーロッパ側の金髪青眼人でアーリア人はインド・イラクの金髪青眼人をいいます。インドに進入したアーリア人は、「リグ・ベーダ」を原典とし、先住民とみられるドラヴィダ人などを支配、ドラヴィダ人は侵略され中国山岳地帯へ移動していった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/aryan.htm

すでにドラヴィダ人は中国山岳地帯まで居住していたかも。
古代中国ヤンシャオ新石器文明(紀元前3000年前)との関わりもある。
BC2000年ころインドのアッサム地方がアーリア人から、奪われたのであろう。
インダス文明の成立からアーリア人の侵入によるインド世界の形成、バラモン教、カースト制の成立まで. ... 前1000年頃アーリア人は、ようやくガンジス川流域まで拡がっていき、小さな国もたくさん生まれるようになったようです。
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-20.html

参考インダス文明を築いた人たちはドラビタ人(倭人)椿と桜の産地北インドのヒンズー支配層は、BC3000〜8000年に、欧州・中東・小アジア・コーカサスから移動してきた西ヨーロッパ人ではないか、と推理されるようになった。

つまり「白人、金髪、青い目」の侵略者たちが、先住民のドラヴィダ語族の民族を南に押しやり、北インドではカーストの支配者となったのではないか、という
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1354332

参考アーリア人の様子は,彼らが残した最古の文献『リグ=ヴェーダ』からアーリア人は,もともとは遊牧民でインド定住インド・イラン語族が自らに用いた名称アーリア人(Aryan)はユーラシア中央部を出自とし、主にインド・ヨーロッパ語族に属する言語を話古代アーリア人が始めたバラモン教中央アジアの高原地帯に住んでいた遊牧民族。紀元前1500年ごろ,鉄製武器と騎馬戦法によってインドに侵入コーカサス山脈の北方地帯であったとする説が有力である。

ドラビダ人BC3500年ころからこの地域に移住したと言われるドラビダ人たちが住んでいたインダス川流域や今のパンジャーブ地方にBC1500年(今から約3500年前)頃現在の中央アジアからアーリア人たちが侵入してきました。

まったくあきれて、しまいますねこれは。早とちりです完全な。

いそぎすぎるのは、現代日本の文化と良く似ています。
例えばメソポタミア文明の民族が、三内丸山遺跡に移動したとしても、何も根拠がないのです、
それにメソポタミアは農耕文明なので、鉄器や文明の跡すら、みえないのです。

ここにみえているのは、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器ぐらいで、これらの用途は?主な生活の様子が伺えます、それは狩猟生活であることからして。

ここに上げた道具は、何処から来たものかを知らなければ、なりません。
ここにある物全体から見ても、新石器文明の跡しかみえませんね。
新石器文明の跡とメソポタミアは農耕文明とでは大きな隔たりが出て、重なり合いません。

では、新石器文明といえば、知るものぞしる、古代中国ヤンシャオ新石器文明(紀元前3000年前)しかありません。

仰韶(ヤンシャオ)文化黄河流域に発達した中国の新石器時代早期の文化。主として陝西省,河南省,山西省南部,河北省南部に分布し,甘粛・青海両省の境界,河套地区,河北省北部,湖北省西北部に及んでいる。

紀元前4800年から紀元前3600年にあたる新石器時代の仰韶(ヤンシャオ)文化から竜山(ロンシャン)文化をへて、殷・周の青銅器文化に発展していった
仰韶文化期の人々は粟・黍を栽培し、豚・犬を飼い、また鹿などの狩猟も行った。

主として竪穴住居に住み、集落を形成し、石斧・石包丁などの磨製石器や彩陶を使用した。
この時期移ってきたかというと、それは、絶対にありません
、何故なら漆です、漆はメソポタミアで始まっているからです。

この漆は何の為に使われていたのか、知らなければなりません。

漆は赤で表現されていて、この赤が何を表わすのか?
メソポタミアの赤といえば、宇宙農耕天文学という事になります、
この中で太陽を表わしていたのです。
そこに赤色顔料が用いられ、この赤色顔料ベンガラは、どのようにしていたのかを、知る事が肝心です。

メソポタミアと愛嬌つじつまが、あったのは、インドのアッサム地方に住むドラピタ民族が、知られています、後にケルト人とか呼ばれたりしています。
赤色顔料ベンガラはここから運ばれて、メソポタミアと交易していたのです

こうして、原住民は来た

ベンガラは縄文人にもみえるが?漆も赤だが?これはどういう関係なのですか?三内丸山遺跡でも三内丸山遺跡は、今から約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/index.html
には膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土した。
とありますが、中国の会稽宇宙天文学神話よりも、早く、メソポタミア末頃に、移り住んでいたのか、三内丸山に?
 
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