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明治天皇による天皇系証拠隠滅

 投稿者:歴研会  投稿日:2007年10月20日(土)08時40分38秒
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  これでも現皇室は桓武祖になるのか?
自分の先祖の墓石を踏み台にしたりするのか?
古御香宮社の社殿前に残っています(社殿前の台石の写真を参照)
http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/51320052.html
これは現皇室が天皇祖と関係ないから出来たとしかならないだろう。
幕末の慶応四年(1868)の鳥羽伏見の戦いの際には、御香宮の御神霊が一時避難の為にこの地に遷座されています。こうした経緯から地元の人々より「古御香宮」と呼ばれて、十月の御香宮神幸祭には神輿の御旅所として神輿渡御が行われています。
京都市伏見区大亀谷の仏国寺境内に、上の写真の石棺が置かれています。仏国寺境内で、大正時代に発掘されたものです。とあるが
この時代には火葬はしないのです。
その例として、南越王の中国での先祖様式で葬るのがしきたりであった。
これは明らかに明治期に掘り起こされたのであろう。
それは明治天皇による証拠隠滅である。

消すことで、作られた明治天皇が、本物になる為の、捏造であった。
元々正統天皇とは関係ない身分を、孝明天皇まで暗殺しておきながら、孝明天皇の
子供に結びつけるとは、何たる卑劣さか。
それは明治天皇による証拠隠滅である。
これには下級公家の、岩倉具視http://www.nextftp.com/tamailab/photo/ohkuma.htm
が加担し反逆し幕末の尊王攘夷運動に加わり鍋島藩(現佐賀県)の上級士族大隈
重信(おおくま しげのぶ)生没年, 天保9年(1838)〜大正11年(1922)
長崎で宣教師フルベッキユダヤフリーメイソンに、西欧的な自由と権利の意味を
知った。
に利用され、如何にも、革命が新しい世を作るためと、謳い文句にして、大久保
利通渋沢栄一江藤新平、副島種臣鍋島閑叟山階宮晃親王、三条実美木戸孝允伊藤
博文仲間を集め、日本乗っ取りを計画した。
これには佐賀藩が大きく関わっている根拠が、今の天皇の后美智子貴殿下のふる
さと、との
繋がりがこれを、物語っている。
鳥羽伏見の戦いの直後から、明治4年 (1871)までの僅か四年間の、29歳
から33歳までの重信を、まだ明治国家前の計画準備の頃。
重信が佐賀藩の兵たちとアームストロング砲とともに大金を大村益次郎に渡して
しまい、幕府が発注軍艦ストーン・ウォール号受取のための費用について、「そ
のための費用として用意した金すべてを彰義隊討伐に差し出した

重信は、憲法によって民間君主の権力を定めるイギリス流の立憲君主制を唱え
ました。
これは国家転覆であった。それは日本を造ったのは正統天皇であって、民間で
はないのだから。

外国人法官任用問題で国権論者の激しい非難を受けていた大隈重信が今度は
大隈重信が今度は玄洋社の来島恒喜の怒りを買った。外務省正門前にては国家
主義組織玄洋社の一員である来島恒喜に
大隈重信は爆弾による襲撃を受け、右脚を失う事となる。
http://nihonjustice.hp.infoseek.co.jp/23.htm

明治時代は日本国家を新しく塗り替える要素になっている。
革命以降憲法を発して、国民を閉じ込めだのが、現代まで緒を引いている。
これから日本人を新政府に、立ち向かえなくしたのであった。
 
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