投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

 派遣社員  美容皮膚科  鹿児島の求人・転職  とんかつ店愛知県
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]

新着順:101/468 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

弥平次・明智左馬助

 投稿者:歴研会  投稿日:2007年 9月25日(火)15時57分11秒
  通報
  明智秀満(あけち ひでみつ)
生没:1557?〜1582
旧姓:三宅
子:重利
妻:村安・お倫
別名:秀春・光遠
通称:弥平次・明智左馬助

元々は三宅氏の人間。
荒木村重の娘・村安と結婚をするが荒木村重が織田信長に謀反を行ったため離婚。
後に明智光秀の娘・お倫と結婚する。
1580年〜1581年の間にいつしか明智姓を賜り改名する。
http://www16.ocn.ne.jp/~history1/hidemitu-akechi.htm参考

6月2日午前6時明智光秀は本能寺を襲撃する。
この時、明智秀満は先鋒を務めた。
本能寺が陥落すると安土城の守護を務める。
光秀の家臣、斎藤利三の娘「福」は、徳川家光の乳母でかの有名な「春日局」です。
春日局の夫は稲葉正成で、息子には、老中の稲葉正成です。
山崎の戦いの敗戦を聞いた光秀の従兄弟明智秀満が、占拠した安土城から坂本城に戻り、豊臣軍に包囲されて城に火をつけて、光秀の妻子を刺して自害しました。息子は寺沢堅高の家臣で天草の乱の際に、天草四郎率いる一揆軍に殺された天草富岡城代三宅重利です。

三宅藤右衛門義信は信義の武士であったので、今回こちらに連絡もせず原田が出陣したのを憤っていたが、「これは私的な遺恨であり、合戦は主君の武名に関わる天下の大事だから救わねばなるまい。少人数ではあっても打って出よう」と総勢二百人余りに密集体形をつくらせ、鬨の声を上げて森宗意軒の軍勢に鉄砲を撃ちかけ、まっしぐらに打ってかかった。

 一揆の者は統制もなく追いかけて来たので、三宅にうちかかられると、ほうほうのていで敗走した。
三宅藤右衛門は武略のある勇士だから、そこつな振舞をして失敗すると、これまでの勝利が無になってしまうであろう。このまま引きあげよ。」と、全軍に下知を与えて、しずしずと引きあげた。
大将の四郎大夫は人々に向かって、「これから富岡城を攻め落として根城にし、もしも大軍が攻め寄せて来たらそこで防戦したらどうか。」と言う
「富岡の城を攻めるのはよくありません。今回島子のいくさに敗れたのは唐津勢にとって武門の恥辱です。三宅藤右衛門は勇気と武略のある武士だから、今度の恥をそそごうと必死に防戦するはずです。そうすれば、きっと味方に討ち死にする者がたくさん出るでしょう。その上、富岡を根城にすると、ほかの場所に出陣して戦いを決しようという気持ちがきっと薄れるでしょう。また、他の土地に出陣して戦いが困難な状況になったら、百姓たちは全員富岡に退いてしまうでしょう。そうすれば戦う者がいなくなってしまいます。このような場所は無用です。もしも富岡を取っても、関東から下知があれば西国の連合軍がやってくるでしょう。

寛永四年八月二十五日の巳の刻、一揆の者たちは富岡城に押し寄せ火を放った。

この町の者たちはどっちつかずの態度を取っていたが、この時に至って、ほとんどの者が一揆に味方、一斉に富岡城に攻めかけた。
城代の三宅藤右衛門は武勇知謀の士であったのでよく防戦し、一揆方の討ち死にがたちまち百余人に達した。城兵は固く城を守って陥落する様子もなかった。
「ここにむなしく籠城していても、江戸からの下知が無いのでどこからも援軍が来ない。また、船は残らず一揆のやからに奪い取られて他の場所に移動することもできない。さらにまた、兵糧がとぼしく城下の町もことごとく焼き払われてほとんどの者が一揆に味方している様子だから、もはやこの上はどうしようもない。敵が攻めかかってきたら潔く討ち死にして武名をここに残そう。」ということになり、一揆が再び攻め寄せて来るのを待ち受けていた。
白木綿で天帝を描いた旗をつくり、弓、鉄砲、槍、鎌、棒を取り揃えて、三百人余りの百姓が小左衛門の家の庭に集まった。
ここに先導された形跡が残る、それが白木綿で天帝を描いた旗をつくりと、城代の三宅藤右衛門の、天子は廃棄した形が見られる。
これが天の叛いた天草民となっているのが、明らかになった。
その時、川林頼母が大声をあげ、「一揆の首謀者天草四郎の父、渡邊小左衛門がここに来ることは忍びを使ってとっくに調べあげてある。尋常に縄目を受けろ。」と叫んだ。
長岡監物は小左衛門を呼び出して、今度の天草の一揆の原因と、小左衛門の息子の四郎が大将になったわけを糾明した。
日本にも中国にもこのような例は少なくありません。漢の高祖は父親を敵に捕らえられてかえって勇気を出し、戦いに勝ちました。天運が至れば再びお還りになるでしょう。」と伝えた。住職は命が惜しくて、耶蘇宗になりますと言った。

将軍家は、鍋島、有馬、立花の三侯をさっそくお召しになり、「このたびの事は百姓一揆とはいえ大勢のことなので、取り鎮めるために追討使を遣わすことになった
豊後の代官の石谷(いしがや)十蔵殿と牧野伝蔵殿には、兵糧等を準備して万事板倉内膳正の下知に従うようにと御奉書で命令。
石谷殿と牧野殿と兵糧のことを打ち合わせ、十月二十五日、島原に着陣した。
寺澤志摩守殿の領地である天草の一揆の追討は、先に細川越中守殿らに仰せ付けてあったが、越中守の軍勢が出陣したところ一揆の者はことごとく天草を引き払って一人もいないので、越中守殿は島原へ追討に向かいたい
戦い
空堀に落ちて糞尿にまみれてうごめき叫ぶ者もいたので、悪臭がますます四方に散乱して鼻腔を刺し、その難渋は言いようがなかった。立花家の軍勢はどっと崩れて敗走
黒田右衛門佐と嫡子の肥前守殿、それに同族の甲斐守殿、采女正(うねめのしょう)殿は、交代で陣を張るようにとの命令があり、また、立花左近将監殿と嫡子の飛騨守殿は中の手を攻めることになった。

黒田頼母は黒田右衛門佐の三男で、同家の家老の黒田三左衛門の養子となって五万石を領していた者である。

諸家の家老の長岡、仁木、三宅などが黒田頼母に同意
黒田頼母は、「大将たちは無益なことをするものだ。夜討ちは小勢で大軍を討つときに用いる方法だ。軽々しく事を運ぶと、かえって敵に智恵をつけることになろう。」

伊豆守殿が小左衛門に、「汝のせがれの四郎は、今度の逆賊一揆の首領になっていると聞いている。その子細を詳しく知っているであろう。耶蘇宗門の信仰についてはどうか。ほかに気付いたことはあるか。四郎は今年で何歳か。明白に申せ。」とお尋ねになった。

小左衛門は頭を上げて、「私は代々浄土宗でございますので、決して切支丹宗は信仰致しておりません。また、特に欲心もございません。一揆の発端は天草から始まり、せがれは伯父の甚兵衛という者に勧められてこのたびの一揆の大将になりました。年齢は十七歳でございます。「ところがわが子の四郎はいつの頃からか、天草に住む伯父の甚兵衛の友人の蘆塚、大矢野、千々輪、赤星という人々とつき合って、武芸の修行に明け暮れ、密かに何かたくらんでいるという噂が伝わってきましたので、わが子に色々と意見して、何の不足もないのだから家にいて心のままに遊んでいてほしい、つまらないことをしでかして父母の心を悩ませないでほしいと、常々諌めておりました。
「今、殿様が下郎と仰せになったことがひどく心に引っかかりました。私の親は、天草の甚大夫といい、その昔、安芸の国の中村の城主だった阿曾沼氏、中務大輔七代の嫡流ながら、時を得ず四代このかた天草島で浪々の身になっています。人々から敬われており、今は天草という苗字を名乗っていますが、姓はもともと秦(はた)氏でございます。昔から武門の盛衰は珍しいことではありませんが、私の夫の渡邊氏は、もとは肥前の平戸に住んでいた、姓は源(みなもと)、名は源大夫と申す者です。

用心をして守備するのが一番重要であろうということになり、大手には黒田家二万五千余人、櫛山口には細川家二万五千余人、中の手は小笠原家一万五千余人とそれに続いて立花侯父子、出丸には鍋島侯父子二万余人、水の手口には有馬、寺澤、松倉の三候らが守備につくことになった。
寺沢家の老臣の三宅藤右衛門がただ一騎で踏みとどまり、大薙刀を振り回して、最近の手傷がまだ平癒しないにもかかわらず、一揆の者七八人をたちどころに薙ぎ伏せ切り伏せ、飛鳥のごとく駆け回った。一揆どもはこの勢いに押されてそれ以上進めなくなってしまった。
三宅は先頭に立って進み、一揆の中に一直線に駆け入って四方八方に追い散らした。
黒田家の先鋒の戦いの事
鉄砲を激しく撃ってきたら死骸を楯にして攻め登れ」と下知し、二万八千人余りで鬨の声をあげながら、大手に一面に散開して攻め登った。

城兵寄せ手もそれに気付き、黒田三左衛門が、「短兵急に攻めたてよ」と下知した。はいまだ少しも屈せず、鉄砲、石、材木を打ちかけて、ここを先途と寄せ手を防いだ。
大手の黒田家だけには遅れをとってはならない。
長岡監物は四方をきっと見て、二人の息子に向かって、「おまえたち、あれを見ろ。黒田侯、鍋島侯の両家は早くも城下に着いて戦っているから、今にも敵城を乗り破るに違いない。黒田右衛門佐忠之殿は、細川家の軍勢が曲輪に押し入ったのを見てひどく腹を立て、「監物と頼母が討ち死にしたために先頭に立って進む者が無く、細川家に先を越されてしまったのは残念至極。

黒田三左衛門と黒田主税(原注:この三左衛門は頼母の養父で一族の長老である。主税は頼母の弟である。黒田、立花両家の大軍が潮の湧くように外郭(そとぐるわ)を押し破って両家の旗を立てた。
参考

http://homepage1.nifty.com/sira/amakusa/a_mokuji.html
 
》記事一覧表示

新着順:101/468 《前のページ | 次のページ》
/468